菩薩の特徴パート2

——別の角度から見た、菩薩の特徴
(ある霊存在から、宗教法人幸福の科学 福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一へ与えられたインスピレーション)


菩薩の特徴として、まず、挙げられることは、

  • 品行方正な方々。
  • 排他的でない方々。
  • 基本的に、平和主義者。人殺しや喧嘩を嫌う方が多いと思われる。
  • 人や動物を虐(いじ)めたりしない方々。
  • 人を指さして、その人を、悪魔のように思わせたりしない方々だと思われる。
  • 嫌いな人間だからと言って、「永遠の祈り」大川隆法著(幸福の科学出版刊)などの幸福の科学から出版されている書籍を読んでいる時に、霊的嫌がらせなどしない方々だと思われます。
  • 自己顕示欲などの欲を慎んでおられる方々だと思われる。
  • 真面目(まじめ)な方々。誠実な方々。
  • 責任転嫁などしない方々。責任感が強い方々。自己責任の原則を受け入れておられる方々。
  • 与える愛に生きている方々。
  • わざわざ、人の弱みを握って、その人を(精神的に)苦しめたりしない方々。
  • 自分に厳しく、他人に優しく寛容な方々。優しい心を見失わない方々。
  • わざわざ、人の弱みを握るためにか、その人に憑依して、犯罪などを犯させたり、苦しめたりしない方々。
  • 不動心がある方々。
  • わざわざ、御涙頂戴的な態(わざ)とらしい涙を流させたりしない方々。
  • よく反省をされておられる方々と思われます。
  • わざわざ、二度手間させたりなどしない方々だと思われる。
  • 仏神や仲間達に、よく感謝されておられると思われる方々。
  • 気に入らない人間だからと言って、宗教法人・幸福の科学の三帰誓願者を、わざわざ辞めさせたりなどしない方々。
  • 簡単に、諦(あきら)めない方々だと思われる。
  • 人間に完全憑依して、脅すような心で、怒りを伴いながら、言葉を発する(発させる)方々ではないと思われる。
  • 簡単に妥協しない方々だと思われる。
  • 人間を不愉快な気持ちにさせたりしない方々。
  • 人間を悟りの幸福に導こうとしておられる方々だと思われる。
  • 食事中に、人間に憑依して、大きな声でがなりながら(がならせながら)、食事させたりしない方々と思われる。
  • 平静心を保っておられる方々。
  • 人間に、「おまえ」呼ばわりなどしない(させない)方々と思われる。
  • お人好しの方々が多いと思われるが、教訓を得ておられる方々でもあると思います。
  • 事実でないのに、盗人呼ばわりしたりしない方々。
  • 率先垂範。模範的リーダーといえる。
  • 人に、偉そうに指図したりしない方々だと思われる。
  • 礼節を重んじておられる方々。
  • 気に入らない人間だからと言って、その人間に憑依してまでも、強制的に頭を下げさせたり、頭を下げたことにしたりなどしない方々と思われる。
  • 嫌いな人間からも、学ぼうとする心を持っておられる方々だと思われる。
  • 「頭を下げたら負け」みたいなことを、人間に思わせたりなどしない。礼儀正しい方々と思われる。
  • 悟性が優れていると思われる。
  • 気に入らない人間だからと言って、わざわざ手などを震わせたりなどしない方々。
  • 仏の光を、人びとにお届けし、仏を目指し、修行される方を増やそうとしておられる方々。最終的には、全人類、全ての方々に、宗教法人幸福の科学の信者となっていただき、三帰誓願していただき、仏を目指し、修行していただきたいと思っておられる方々だと思われる。仏の光で、全世界を満たしたいと思っておられる方々。
  • わざわざ、人を脅したり、睨(にら)んだりしない方々。
  • 人びとの健康を願っておられる方々。
  • わざわざ、人間の咽(のど)の調子を悪くしたり、声を嗄(か)らしたり、などの不自然なことはしない方々。
  • 上品な方々だと思われる。気品のある方々だと思われる。
  • 微笑(ほほえ)むことはあっても、わざわざ、人間の肉体に入って、「ふふふふふ・・・」とか、「がはははは・・・・・」とか、「あはははは・・・」などのように、(下品に)笑わない(笑わせない)方々だと思われる。
  • 高貴な方々だと思われる。
  • 気に入らない人間(男性)だからと言って、わざわざ、げっぷさせて、下品な人間であるかのように思わせて、その気に入らない人間を女性に嫌わせたりなどしない方々。
  • 人びとの幸福な姿を、微笑ましく見ておられる方々だと思われる。
  • 正しいことを、言おうとしている時に、遠慮させたりなどしない方々。
  • 勇気がある方々。
  • 気に入らない人間だからと言って、霊的嫌がらせなどしない方々。
  • 堅忍不抜の精神。
  • 気に入らない人間だからと言って、霊的虐待などしない方々。
  • 忍耐強い方々だと思われる。
  • 気に入らない人間だからと言って、自殺に追い込ませたり、人殺しさせたり(他殺)などしない方々だと思われる。
  • 信念を貫かれておられる方々だと思われる。
  • わざわざ、犯罪を犯したり、犯させたりなどしない方々。
  • 善いこと、正しいことをしようと思っておられる方々。
  • 気に入らない人間だからと言って、その人間を、偉そうに、上から見下しながら、指図したりしない方々。
  • 正しき心の探究をされておられる方々。
  • 人の生活を、静観することはあっても、霊的に、その人のことを観察していることを、その人に気付かせながら観察したりしない方々だと思う。
  • いつも、温かい眼差しで見守って下さっておられる方々。
  • 気に入らない人間だからと言って、わざわざ、その人の記憶を消したり、わざわざ、その人に失敗させたり、わざわざ、その人に、恥をかかせたりしない方々。
  • 霊的に強制的に、気に入らない人間だからと言って、その人に「お前は魔」などと言いに来たり、その人を、悪魔のように思わせたりしない方々。
  • 霊的に強制的に、わざわざ、気に入らない人間の前に現れて、その気に入らない人間を、不愉快な気持ちにさせるためにか、音楽に憑依しながら、歌ったりしない方々だと思われる。
  • 深い慈悲を持っておられる方々。
  • 嫌いな人間だからと言って、その方を、わざわざ、ダサくしたり、ダサい人間であるかのように、人に思わせようとしたりしない方々。
  • 仏の御手足となって、活躍されておられる方々。

以上のようなことが言えると思われます。

 どんな悪人(のように思える人)でも、どんな犯罪者でも、仏性はあります。悪魔に憑依されて、犯罪者に仕立てられてしまっているに過ぎないのではないでしょうか?本来の綺麗な心に戻るべく、仏の心に照らし、反省し、改心されます方が、地に満ちますように、心より主エル・カンターレに、お祈りいたします。

2008/11/04
宗教法人幸福の科学 福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一

以下、「釈迦の本心」よみがえる仏陀の悟り〜大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。

菩薩の本質

 阿羅漢の次の段階である「菩薩」について述べていきましょう。
 「阿羅漢の状態で三回ぐらい転生をくり返さなければ、なかなか菩薩にはなれない」というのが霊界の仕組みです。
 そして、人間が転生をくり返すなかで、阿羅漢の状態に達することができるのは、たいていの場合、偉大な導師が地上に降りているときだけです。それ以外のときに、平凡な市民として地上に生きていたのでは、独力で阿羅漢の状態に達するのは困難です。なかには、自分の人生経験を通じて、独自に阿羅漢の段階に達する人もいますが、割合としてはかなり低いと言ってよいでしょう。
 阿羅漢が大量に生まれるのは、偉大な指導者が地上に出ているときなのです。それゆえ、偉大な指導者が出るときには、人びとはこぞって地上に出たがるのです。
 大導師が地上に出たとき、その弟子となり、その法を学んで、阿羅漢の状態に達することができれば、以後、それが一定の実力として遺ります。野球の打者に「三割バッター」といわれる選手がいて、いったん三割以上を打てるようになると、その実力はそう簡単に落ちるものではないのと同じです。
 そして、大導師のもとで阿羅漢に達した人が、次の転生、さらにその次の転生とくり返していき、三回生まれて三回とも阿羅漢の状態を続けることができたならば、次に、いよいよ菩薩の段階に入っていくのです。これが平均的な姿だと言ってよいでしょう。
 菩薩の認定にはきわめて厳しいものがあり、その認定がなされるまでには、かなりの年月をかけて実績を積まなければなりません。平均的な人間が、ほぼ三百年に一回の割合で生まれ変わるとすれば、菩薩になるためには、阿羅漢に達してから約千年の歳月を要することになります。それだけの修行を重ねていかなければ、菩薩の一員にはなれないのです。
 したがって、菩薩を目指す修行者は、千年ものあいだ不退転の気持ちで努力しつづける気概が必要です。しかし、たいていの人は、一年ぐらいは、あるいは三年ぐらいは努力ができても、よほど意志の力が強く、謙虚な心で努力を続けていける性格でなければ、千年間も努力しつづけることは難しいのです。
 ただ、千年かけて菩薩となった場合には、その境地はそう簡単に崩れるものではないことも確かです。菩薩からはプロの世界です。菩薩というのはプロの指導者、プロの教育者であり、プロとアマの差は歴然としています。心を練りに練らなければ、プロと呼ぶことはできないのです。
 菩薩になるにはそれだけの修行年数が必要であり、一朝一夕(いっちょういっせき)で菩薩となることはできないことを知ってください。単に小さな親切や愛の募金をしただけで、菩薩になれると思ってはいけません。それだけの忍耐力を持ち、うまずたゆまず、向上への道を歩んでいかなければならないのです。
 菩薩の本質のなかには、利他、愛があるわけですが、その愛の奥には、「世の中をよくしよう」と決意し、不退転の気持ちで、うまずたゆまず道を歩んできた者に特有の強さがあります。「堅忍不抜」という言葉で呼んでもよいでしょう。
 すなわち、「人びとを救い、人類を光明化し、世界をユートピア化する」という理念のために、長い年月、うまずたゆまず山道を歩んできた人が、菩薩として活躍しているのです。
 したがって、彼らの光は単なる飾りものの光ではなく、底光りする光だと言うことができます。何百年、何千年もの修行の結果、魂が底光りしているのです。決して借りものの光ではなく、魂の奥深いところから光が出ているのです。


以上、「釈迦の本心」よみがえる仏陀の悟り〜大川隆法著(幸福の科学出版刊)より抜粋させていただきました。このような教えをお説き下さった、宗教法人幸福の科学大川隆法総裁先生に心より感謝申し上げます。

宗教法人幸福の科学 福知山支部所属 三帰誓願者 前川謙一



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